| たんねある記 HOMEへ
〜2005年3月20日/熊野古道「大雲取越編」(2日目)〜
翌3月20日、朝6時過ぎに朝食を食べ、もう一つのお宿に泊まった方々と合流、
コンビニでお昼の食料を買って、那智大社へと向かう。
そこから山越えをして、去年の10月に歩いた小雲取越の登リ口であった、
小口自然の家まで、約13キロを歩くのだ。
那智大社の手前に「大門坂」という長い坂道と階段があり、この入り口には
南方熊楠の家跡があって、おお、そういえばそうやったか、とちょっぴり嬉しくなる。
粘菌の研究をしていた人、ぐらいしか知らないけど、
あ〜ぴょんはこの人の目がとても好きである。
 |
大門坂の入り口。
民家の並ぶ道を過ぎて山の中に入っていく。
時刻は午前8時過ぎ。 |
渋〜い石の階段にはうっすらコケが乗っていて、その長い坂道の両側には、
でっかい杉が立ち並ぶ。ここは、熊野古道の紹介やガイド本などでも
よく写真が載せられている。
実際歩いてみると、山岳信仰の雰囲気も少しあるがこの感じ、けっして嫌いではない。
「九州の英彦山に行ったとき見たような、山伏姿の人、いるかな?」
とちょっと期待したが、残念ながら今回はお目にかかれなかった。
 |
大きな杉が両側に立ち並ぶ石段。
杉の枝がクネクネと曲がっているのが面白かった。 |
ゆっくりと石段を登っていくと、やがて駐車場に着いた。
ここまでは車で回ってくることができるようだ。
トイレを済ませ、参道の階段を上がって、人で賑わう那智大社へ。
 |
駐車場からさらに階段を登る。
「那智詣」の文字と、みやげ物店が並ぶ。 |
那智の滝が遠望できる場所もあり、交代で撮影する。
滝の直下へも行ってみたいと思ったけど、時間的なこともあり今回は
行かないようだ。少し休憩した後、いよいよ大雲取越ルートへ向けて出発。
 |
那智大社に到着。時刻は8時45分過ぎ。 |
 |
那智の滝。
直下から見上げると迫力ありそうだ。 |
そこから先は、山道らしい道に入っていく。ぐっと人影も少なくなり、
森閑とした中を歩くのは気持ちがよかった。
まだ早春なので、足元に触るような草の伸びも見られないが、
30分ぐらい経ったところであっらあ?バイカオウレンの花が咲いてるじゃない。
ELKさんご一行を蟠蛇森へ案内した日、帰りに自生地にもお連れしたばかりだけど、
こんなところでまた見られるなんて。
しかも以後、ここでは道なりにずっと咲いているのを見ることができた。

バイカオウレンの可憐な花。
いっぱい咲いていました。
|
 |
最初はなだらかな部分が多くてのんびりいける道も、その分、坂に差し掛かると
ちょっとがんばって登らないといけない。
午前11時前には勝浦温泉街や海が見える「船見峠」に到着。
前の方を歩いていたあ〜ぴょん、「海が見えるよー。」と後ろに声をかけたが、
上り坂の途中でみんな必死なのか、無反応。
少しして坂を上り切ってやっとみなさんの顔が和らぐ。
見晴らしもいいし、ここで昼食をとることになった。止まるとちょっと肌寒かったが、
お湯を沸かしてもらい、温かい飲み物をいただくと、ああ〜、五臓六腑に染み渡る〜。
 |
船見峠からの景色。
左手に勝浦湾。中央近くに島のように見えるのが
勝浦温泉。右端の台形の山は妙法山。 |
 |
船見峠には休憩舎があるので、
ここで少し早いお昼にした。 |
一休みして、また出発。まだ半分以上、距離が残っているし、このあと少し下ってから、
大きな峠越えが待っている。
 |
船見峠からいったん下るが、
徐々にまた登りとなり、
その先に長いダンダラ坂が待っている。 |
ときおり休憩しながら長い急坂をひたすら登ったり下ったりしながら、
やっと午後2時に「越前峠」へ着いた。大雲取越で一番大きな峠だ。
けっこうたくさんの人が休んでいたが、ちょっと空模様が怪しくなってきたので
先を急ぐ。ここから後は、古い石段の長い下り。最初はのんびり後ろのほうを
下っていたが、人が多くてだんだん前が詰まってしまい、歩調が合わなくなってきた。
自分のリズムで降りないと神経が疲れてくるので少しずつ前へ。
 |
越前峠。
ここまでくればあとはもうほとんど下り。 |
そのうちとうとう、雨がポツポツ落ちてきた。この石段で降られるとスリップが怖い。
「本降りにならんとって、、」と願いながら下る。足の裏がちょっとだるくなってきた。
梵字が刻まれた大きな石のところで小休止し、また下る。
 |
梵字が刻まれた石はコケだらけ。
少し休んで後続を待つ。 |
午後4時を過ぎてやっと見覚えのある民家沿いの車道が下に見え、
下り口を求めてうろうろしていると、お迎えの運転手さん(いつもご苦労様です)にばったり。
ああ、さすがに足が疲れた。雨は、なんとか本降りにならずにもってくれた。
バスに乗り込み、今晩も二手に分かれて私たち(5人)は少し離れた宿へ帰る。
この日の夕飯メニューはお魚中心だった。そして今夜も部屋に戻って山談義。
二晩目はちょっと不思議で怖い話も聞いてしまった。
以降、山談義↓
あ〜ぴょんは単独で山の一夜を過ごしたことはないので
(あわや、そうなりかけたことはあったけど)、それほど怖い思いをしたことはない。
でも、遭難しかけると一種特殊な思考状態になって、冷静な判断ができなくなる、
というのはすっごくよくわかる。
道に迷って軽くパニックを起こし、あとで、
「何であの時、あんな当たり前のことに気がつかんかったんやろう?」
と思ったことは何度かある。
この日の山談義で聞いた話は、今回初めて山行をご一緒した、
教職関係の50代の方の体験談で、渓流釣りで雨に降られ、視界が悪くなったせいか
道に迷ってしまい、日が暮れた中を足が進むままに朽ちかけた小屋に辿り着き、
一晩中、外を漂う怪火に向かって
「おーい、ここだ!」と叫び続けていたという話である。
場所は、赤石山系。怪火は3つが乱舞していたのだそうだが、最初はそれを
(知人の)救助のライトだと思って大声で呼び続けたという。
しかし何時間も経ってからふと、この場所に自分がいることも知らないのに、
そんなすぐに救助が来るはずがない、と気づいたそうだ。
ちなみにその怪火は、声に反応するという。
呼びかけるとふわり、、と向きを変え、またその辺を浮遊する…。
幻覚なのか、時々言われる燐火なのか、 雨が降る中で見えた3つの火は、
最後は一つになってその人の前にグワーッと迫ってきたのだそうだ。
火なのか光なのか知らないが、自分の影が写ったそうである。
夢のような話である。でも、その人にとっては「体験」なのに違いない。
あ〜ぴょんも、真っ暗になってしまった山道で、不意に崖っぷちの
一枚岩に飛び出てしまい、眼下にぼんやり見える人工の灯りに向かって、
「私をそっちの世界に戻してくれ〜」
と半泣きで彷徨したことがある。「そっちの世界」に戻るためには、
これから「こっちの世界」の真っ暗な崖の山道を必死で下り
下の山道に下りてからもなお真っ暗な中を、
「そっちの世界」の入り口まで、今度は登り返さなくてはいけなかったのだ。
そうしないと人の世界に戻れない。
あ〜ぴょんももしかしたらいつかは「山の者」になるときがくるのかもしれないが、
まだまだ足掻きの欲は残っているから帰りたくて帰りたくて…。
今日、ちゃんと家の布団の中へ潜り込んで、ぬくぬくと眠ることができるのか?
その日常と今いる状況、その二つをつなげるものは、
この足元から鋭く落ち込んでいる断崖と、暗い空間によって寸断されている。
希望を求めて歩いた先にあった断崖と青い闇。「見よ、それがお前の、現実。」
しかし、もと来た道が消えてなくなったわけではない。
道がないわけではない。ようは、戻るか、留まるか、だ。
時季は11月、それほど寒さは感じなかったから、ビバークしてもいい、
と思ったが、一枚岩の上からもと来た道へ戻り、足元から下へ続く、
つづら折れの下りの道を、一歩一歩にじるようにあ〜ぴょんは下りた。
闇夜をたった一人で歩く恐怖はまるでなかった。
疲労しきった体で必死に駐車場へ戻ることだけを考えていた。
駐車場へあと少し、のところで山道が広くなると、上空は満天の星空。
涙が出た。後で考えると、その瞬間わたしはまさに人の世界に戻ったのだろう。
その証しといっては変だが、駐車場にぽつんと残った自分の車に戻ったとたん、周りが怖い。
駐車場といっても舗装されているわけではなく、
相変わらず山の一角の、自然の中の広場なのだが、広い空間ゆえなのか、
自分と、自分が今いる外の世界の隙間が大きすぎて、とにかく「空間が怖い」のだ。
登山靴を脱ぎながら落ち着かなく周りをきょろきょろ見回し、
ザックも靴も車に放り込むようにして一目散に車に飛び乗った。
今の今まで空を掴むとモヤモヤと得体の知れないモノに触れてしまいそうな
闇の中を歩いていたにもかかわらず、まったく恐怖を感じていなかったことの方が
よっぽど変なのだが、逆に、「山の加護」の元から解かれて急に心細くなった?
とちらっと思ったりして、それでも早く日常的な環境に戻りたくて、
車に飛び乗るとすぐにエンジンをかけた。
しかし帰りの車中でもなかなか神経の興奮は冷めなかった。
周りが怖いというのはなくなったが、国道に出てからもしばらく
「くわばらくわばら」 なんて、普段は口にしない年寄りくさい言葉を
ずっとつぶやいていた。
笹の中を泳いだり、登山口とは真逆の方向へ、それとわかっていて進んでいる
自分はいったい何だったんだろう?あの一枚岩の上に出てしまったときの、
現実なのか夢想の世界なのか一瞬わからなくなりそうになった感覚は…。
それが怖かった。「行きはよいよい帰りはコワい…」という魔は、あるのだ。
一晩中怪火に向かって叫び続けた方も、その最中はあんまり怖いとかいうのは
なかったのじゃないかと想像する。必死のときっていうのはある意味集中しているというか、
一つの方向に固執していて周りが見えなくなっているから、それがいいように出るか
悪い結果を生むか、まあ綱渡りの危険さは含んでいるだろう。
その方は、そのまま廃屋で朝を向かえたそうだが、夜が明けて、周りの状況が
見えるようになると、本人は口を濁してはっきりしゃべらなかったが、
いろいろとヘンなものが目に付いたらしい。朽ちた祭壇とか祠とか。
しかし、叫び続けたことで集中が保てたのかもしれないし、
まあ、雨に濡れた状態で寝てしまうのと一晩中叫び続けるのと、
どっちがいいのか私にもわからないが、
つらい度からいうとやっぱり何かに集中している方がましなのかなあ、と思う。
雨をしのぐのもままならないような朽ちた廃屋で、ツェルトもなしに
横になって寝られるか、、たぶんあ〜ぴょんにはムリだと思う。
山行きではないが、あ〜ぴょんは一晩中雨に打たれて立ったまま朝を迎えたことがある。
十何年前の、阿蘇山麓野外ライブのときだが、あのような過酷な体験は、
もう二度としたくないものだ。ましてや山行ではご免こうむる。
常に冷静で、パニックにならないなら不思議な体験も少しはしてみたいとも思うが、
危険な目には遭わないように、気をつけんといかんなあ、とか思いながら、
熊野古道2日目の夜は更けていくのであった。
HOMEへ
|